使命感と試練

グロービス堀さんのブログから
■試練を乗り越えて歩め−その1)豊かさの中での人間的成長
http://blog.globis.co.jp/hori/2008/05/1_e48d.html

対談をしていた僕は、僭越ながら即座に反論させてもらった。
「豊かさが、必ずしもハングリー精神を奪うものではないと思います。確かに、豊かであると幼少期の経済的苦労をバネにした反骨精神を生むことはできないです。事実、そういう貧しさからくる反骨精神をバネにして成長してきた起業家も多い。ただし、そういった経済的な苦労は、経済的な充足に向くことが多く、必ずしも社会全体を富ますことにはならないのでは無いだろうか」。

「それよりも重要なのは、各人に『自分が生まれてきた目的は何か?』、『この人生で何を行うべきか?』という問いかけをすることにより、自らの使命感に気づかさせることである。使命感に芽生え、自らの任務を見出した人間は、その使命を果たそうと無限大のパワーが自然と湧き出て来るのである。ちょうど勤皇の志士が使命感で動いたように、グロービス経営大学院が輩出する『創造と変革の志士』も、『自分の使命』というものを気づいてもらい、社会に貢献してもらいたいと思っている」。

そして、僕は、更に続けた。

「また、豊かさが必ずしも、弱さにも繋がらないと思う。豊かさであるがために、親とか環境が、人々を甘やかしていると確かに弱さに繋がる。でも、豊かであっても、試練を与え続けたなら、当人はその試練をバネに成長し、強靭さを手に入れることができるのである」。

これを読んで思ったのは、自分の目指すべき方向、生き方に気づき、その方向に歩き出した時に試練が現れるものだということ。歩き出さないと試練は現れない。その場にじっといると楽と苦悩があるのみ。と考えると、使命感に気づくことと試練はセットかもしれない。堀さんは、この試練を乗り越える力をつけるための教育方針をしっかり作り実行している。これはすごいことだと思う。
自分の使命感、生き方を見つけることが一番重要という部分はその通りだと思う。その上で試練を試練と感じてもいいし、試練と感じなくてもいいとも思う。それはその人次第。自分の生き方を生き生きと全うする。その生きる過程を味わう、楽しむ。個人的にはその過程も含めた生き方を大事にしたいと思う。